第二視覚
全部意味のない言い訳になっていく。私は今、風車を倒壊させないための装置だ。
伴奏は、もう歌い出しを過ぎて、それでも尚、この歌が何らかの形で終わることを知っている。きっと妨害は入らず、中止せず、何もなかったかのように演奏が終わる。
私には自由がある!私は人間だから歌ったり歌わなかったりする自由がある。今は歌うべきことを即興で考えている、どれだけ遅れても、何を歌うかが重要だ、伴奏に合わせて歌をでっち上げることじゃない。
毎日お風呂にずっと長い時間浸かろうと思った。
お風呂に浸かっているとき、色々なことを考えながら少しだけ眠る。思考は若干の奥行きを得て、自由になる。
自由自由自由。あらゆる手段と思考に縛られながらも自由を欲する本能だ。
肉体や、脳や、霊に対する信仰、時間の鎖、名前、目に見えているものすべて、感じているものすべて。肉体。明日。過去から未来からやってくる、黒くて長い腕。傷。
本当は現実よりも自由なものはない。現実以外はこの世界に何もない。
義務だとか権利だとか、目に見えないもの。
問題は、問題は。
古くてもいいし、ありふれててもいいし、お猿のタイプライターの中で、何が価値を持つのかなんて考えないで、ただただ自分の信じているものを作り上げる。
現実ってどこにあるの?それはきっと身近にある。
それに気付くのにはとても時間がかかる。
ぬいぐるみの中に人間を入れたり、同じ光景を繰り返したり、構造で遊んだり、あとは、最終的に、空想と現実の間で、実在するけど実在しない、矛盾した光景を見ることができる。
見たものが全てです、と、言う。
それ以外は何も考えていない。見たものがすべて。一番わかりやすいのは直接見ることだと思うし。
できることだけをやりたい。できないことはできない。