海獣の子供 感想と解釈

個人的なことから言う。
私は、今まで漫画で物語をやってきて、良かったと実感できた。自分の成長を実感できた。とても喜ばしいことだ。

誰のどんな解釈も、100%正しい解釈などない。

今までの私なら、この映画も、わからないけどすごいという言葉で完結していた。私は私の解釈など持たなかったと思う。
だけど海獣の子供について、私は歯が立たないなりに、一つの解釈を持つことができた。そしてそれが海獣の子供であって幸運だったと感じる。
10%くらいは正解に近い解釈ができたと思う。

ここから若干ネタバレがあったりなかったりします。






まず、私はあまり好みじゃない映像を見ていきながら、徐々に主人公=言葉=物語であるということについて、解釈をしながら見ることができた。

そしてこの映画が、「言葉を語らないで伝えたいもの」を言葉で伝えようとしている、その丁寧さとまどろっこしさ。
この映画が、「物語の死と物語の再生」の物語であるということ。

私はもう、たまにありがたいなと思いながらも、もういい加減に言葉を捨ててくれと思い続けながら見ていた。鼻につく、口を開くな、と。
さっさと言葉とか小手先のなんかもう細かいやつ捨てちまえよと思い続けながら見ていた。
この映画を楽しむには人生経験として海や自然や宇宙を感じたことがある人間しかあれを美しいとは思えないのだと感じたし、プロメアを面白いと言ってるような、アニメ映画を面白いと言ってるような私のような人間ではダメだなと思っていた。もっと現実を知っている人が感動するべきものだ。アニメ映画で極限までアニメ映画を越えようとするとこうなるのかなとも思った。

解釈について、
基本的にはババアが後から正解を言ってくれているので優しい映画かなと感じていて、
例えばそろそろ言葉=物語を捨てますよという時に玄関のゴミが取り除かれるシーンだとか、例えばあの宇宙のシーン(物語の死)の直前で、ソラが物語=主人公に「君の役目は終わった」と言って物語が死んでいく過程や。

もう本当にやった、と思ったのが、最終的にババアは主人公を直接「物語」だと言ってしまう。その言葉がいらねえんだよなと思いながらもありがとうとも思った。

物語=主人公が一度死に、この映画は意味から開放されて本来の姿を見せる。そこでウミもまた物語であったことを提示しながら、物語=主人公は再生していく。

何度も言うけど映像については宇宙や海を感じたことがある人間しか感じることができない、宇宙を崇拝しているのかと個人的には思ったけど、そんな感じだったので、海獣と子供についての感想と解釈はそんな感じでした。

物語の死、そのエネルギーを、物語=映画=宇宙=肉体で、極限まで描くこと。それがあの映画の目的や呪縛なのだとしたら、大したものが見られたなという感じだった。

とりあえず、今の自分の能力では、この程度のことしか読み解けなかった。
人によっては、もっと複雑に計算しつくされていることであったり、絵の意味が読み解けるんだろうけど、物語を今必死にやっている身としては、これが限界だった。