前回のコミティアの振り返りと、次回のコミティアの抱負

皆さんこんにちは。藤想です。ブログではお久しぶりです。

この記事では、前回のコミティアの振り返りと、次のコミティアへの抱負を書きます。

私は2021年6月のコミティアを終えて、自分の中に何が残っていたかというと、新刊のコピ本への反応の良さも感じつつやはり一番に感じていたのは九度計による新刊「彫刻されしナウムズニユル」の完成度の高さ、それに対する感銘と嫉妬でした。

九度計に対して何度か「彫刻されしナウムズニユル」はどのようにして生み出されたのか探りを入れてみるも、なにやらストーリーや設定に関するよく分からない回答が帰ってくる。
最初はクワガタムシだったとか、「穴」と「埋める」は対になってるとか…。
本気で意味が分からないわけではないが、自分が作品を作る時に頭の中のクワガタムシは重要視しない。

そもそも彼は私のように創作術などでこの作品を生み出していないということが分かる。

彼の複雑な回路が生み出した辻褄の合わない巨大な幻夢を、理性的に整合させた。多分それだけなのだ。

この作品は最初から最後まで感性を強く揺さぶってくる描写で構成され、こんなにも深みに満ちた描写を生み出しているのに五歳の子供なのではないか?という純粋さに満ちた精神性。

まるで4K画質でしらみまでテレビに映ってしまった子供番組のマスコットキャラクターの着ぐるみのようだ。

あるいは私の虫歯を治療している最中にピエロに転職してしまった歯科衛生士か。

その生々しく恐ろしい幼児性。

彼はこの漫画を地味だと自称した。しかし、地味な描写に至るまでの物語の文脈を背負った痛恨の描写が続き、確実にツボを貫き、適切に読者の心の錠を破壊していく。


私が「彫刻されしナウムズニユル」を読んで最終的に抱いた感想は、やはり自分の能力を使いこなして、適切に実直に運用し、自分の出せるハイスコアを叩き出さなければいけないということだった。

私は6月のコミティアで短編を描いた。渾身の短編だ。だが私は全力を出したと言えるか?Noです。私の本領は長編だと自認していた。

私も本気で傑作を書き上げなくてはいけない、そして9月のコミティアに自分の傑作を叩きつけてやらねばならないのだと、その時決心しました。

直ぐに新作のプロットを練り始めたが、何を思ったか私は読者に対して読者サービスがしたくなった。

そして画集を作り始めたり、まとめ本の描き下ろしを書き始めたり、オリジナルステッカーを作ったりし始めました。
きっかけを本当に忘れてしまった。
確か、短編の出来が良かったのでしばらく短編を描くのにハマっていたのだと思われる。

そして連載漫画でしか描けないテーマがあると思い、連載漫画も書き始めたり。

それらが無駄だとは思ってないが、その時は9月に傑作を出すためのプロットの作り込みが甘いことを自覚していて、何案も何案も作っては破棄する、を繰り返していました。

様々な創作方法を取り入れ、様々なアニメや洋画を見て、プロットを作り続けました。

最初は機械姦エロ漫画を構想し始め、
次に心に響く漫画とは何なのか考え始め、
ハサウェイに影響されてロボット要素を入れ、
エロ漫画のプロットを完成させ、
お姫様がわがままを言う漫画を構想し、
願いを叶える仕事という概念を作り、
その間、自分の本当の気持ちを何度も何度も振り返りました。
自分は本当は何が描きたいのか?

最終的な結論としては、エロやロボットではなく、人間ドラマという結論に至りました。

趣味がモリモリと盛られた漫画も好きだけど、結局のところ自分が漫画でやりたいことは、物語をちゃんと読者の心に届けることだと改めて思いました。

私はテーマとコンセプトを設定し、原則に従って物語を構成していくと、涙が出るような物語がいつの間にか出来始めていて、もうコミティアはこれで行くしかないと確信し、今に至ります。

テーマは、私が29歳の大人としてしっかりと共感し、私が変わるキッカケになるようなテーマでなければいけない、自分に必要なものは何なんだ、と真剣に考えた結果、現れてきたテーマです。切実なものです。

私自身がこの物語の完成を楽しみにしています。

私や読者の皆さんの光となるような作品にして見せます。

このブログの読者の方にだけ、次回作のタイトルをお伝えします。

次回作のタイトルは、『殺戮のエチュード