人生について改めて考えること
自分には何が出来るのだろうか、自分の可能性や価値、居場所を、毎日ずっと探している。
28歳になった今でもずっと探している。
もっと若く、自分の才能に気付き、それを磨くことに多くの時間を費やしている人もいるだろうが、そんな人たちを直視して比べたりしたら自信を失ってしまうので見ないようにしている。
というのは嘘だ。そこまで自分の価値を低く見積もってはいない。
私には今までの人生でこれといって大きな実績がない。
これをやりましたと人に言えるような大きな仕事をなしていない。
あるのは創作に対するモチベーションだけで、やる気に満ちている時、体が勝手に動いて漫画を描いている時、前に進んでいる感覚が実感として湧く。風が私の体をくぐり抜けていく。
全くの暗闇の中にいるのではなく、ここがトンネルのような気配を感じる。
いや、それも嘘だ。普段は漠然とした不安を抱えながらも、今のことしか考えていない。今出来ることをするだけで、そこにいちいち思考は挟んでいない。
漫画を書く、ほぼ毎日。
そして漫画は段々と上手くなっていく。表現力が上がり、描けるものが増えて、分かりやすく読みやすくなり、今までよりもっと面白いものを描けるように、どんどんと進化している。
描く題材も、どんどん真に迫っていく。
その進歩を続けるとどうなるのか全然考えていない。どうなりたいということも、想像がつかない。
今はただ、自分の納得できるものを作りたい一心。
自分を満足させることが出来たら、もしかしたら、私はそれに誇りを持って、作家として落ち着くことが出来るのかもしれない。
作品を作って自分を納得させることはとても難しい。
何故なら、自分の描きたいものは常に大量にあり、移り変わる。一つの作品で自分を満足させることはできないだろう。
でも出来なくはないのではないかと思うのが今日だ。
コミティアの規模が縮小して、客観的な評価を受けるのが難しくなった。自分の価値観を信じて作品を作り続けること以外に、私に出来ることは何もない。
28歳。果たして28歳としてこれがあるべき姿だろうか。
世間体などではなく、クリエイターとしての28歳の私は何点なのだろう。
年齢も一つの基準でしかない、漫画を描き始めたのは6年か7年前、果たしてこれが7年間を漫画に費やした人間の姿だろうか。
自分らしさを固定せずに、もっと正直に、熱を持って取り掛かる。
自分の真の姿が漫画から浮かび上がってくる。
人生の意味が生きている間に決定しないように、価値や可能性も、決してそう簡単に決まるものではなく、生きている間中ずっと苦しみ続けなくてはいけない。
好きなものがあることは幸せ、書きたいものがあることは幸せ、それを書ける時間も環境も健康もあることが幸せ、恵まれた条件。
知りたいことや極めたいことがあることが幸せ、友と語り尽くせない話があることが幸せ、無限に思考できる無限の題材が用意されていることが幸せ、閃く脳があることが幸せ。
やりたいことをやりたいだけできることが幸せ。
生きるに値する人生を持っている。
まだ思いついていない無数のアイデア。
決してバラ色ではない自分の将来。多分灰色でもない。
私は天啓が降りてくるタイプの人間ではない。地道に活路を探り当てていくタイプだ。
物事は突然良くなったりしない、代わりに、今日は少しだけ昨日よりも良くなっている。
出来ることしか出来ない。とても現実的だ。
思いつけることしか思いつけないんだ。
生きることは道を一つ選び取り、その道を進むことだ。同時に二つの道を進んだりすることは出来ない。
一人は一本の道しか進むことができないのだから、人と話をして、知らない道についての情報を得たほうが得だ。
生きるすべての人が、自分の道を進んでいる。道を進んでいない人はいない。何も選択していなくても、選択しないことを選択している。道を進まないことはできない。
私は人と話をしたい。