20190715 日記

凹んだこととか今日名前を変えたことなどについて少し書きます。

 

前に新刊制作日記で少し書いたか忘れてしまったけど、今私は大きな転換期にある。

 

もう少し具体的に言うと、今まで生きていく上で色々な選択があり、その度にある程度の一貫性を持って、選択肢を選んで生きてきた。

最近になって、切っ掛けは忘れてしまった(非常に小さなことの積み重ねによりそうなった)けど、人生における「選択」に対するスタンス、道の選び方を変えてみよう、それによって生き方を変えてみようという実験を行っている。

 

もっと複雑なものを受け入れてみたり、わざと思考を単純化したり、選択肢を選ぶことを放棄したり、責任からわざと逃れてみたり、ものの見方のスケールを高速でズームインズームアウトを繰り返してもっと多くの情報を得ようと試みたり、まあ色々と今までやっていなかったことをやっている。

 

自分の意志によって、生き方が決まっているのか、それとも大きな流れに流されて、ただ生かされているのか。そういう疑問から自分を外してみたり。

 

そんなことを毎日考えたり考えなかったりしながら生きていて、今日、その沢山の出来事の中で、名前を変えるという出来事もまたあった。

これからは「季乖もが」という名前を名乗ろうと思っている。

 

この私の一つの転換期が私の人生において何を意味しているのかを私は知らない。

 

同様に、季乖もが(きかいもが)という名前も、私の人生でどれ程の意味を持つのかを知らない。

 

もう二度と名前が変わらないということは、今までの人生で無かったことだから、また名前が変わるのかも知れないし、人生で今まで起きなかったことが起きて、この名前で定着するかも知れないし、それを決めるのは自分であって自分ではないという気がする。とにかく転換期に相応しい名前だとは思う。

 

もう少し名前について言うと、「季乖」というのは私が考えた部分で、「もが」というのは私は考えていない無意識の部分だ。「季節」から「乖離」すること、それも「キカイ(機械・機会)」的にシステマチックに偶然的に。この「季節」には非常に大きな意味が込められている。

 

もが という名前の意味は知らない。

私ではない別の私が、自然にペンを走らせて「もが」という名前を書いていた。「も」と「が」の二文字を自分の漫画のキャラクターの二つの瞳の中に、自分のサインとして書いていた。

因みに私は最上もがというアイドルについては何も知らない。全くの偶然だ。

 

私は今の私が立っている、この実験の季節が好きだ。これから何が起こるのか、不安ながら期待もしている。間違いなく新しい自分になれる確信がある。

だからこの名前も気に入っている。

 

 

 

今日凹んだ話を書く。

私は悪いことをしてしまった。

 

昨日、友人三人と群馬のスネークセンターに行き、色々な蛇を見たり、調理された蛇を食べたりした。

それなりに楽しく過ごして、蛇も美味しかったので、今朝、蕎麦を食べながらスマホを見て、調理中の蛇の動画などがあったので、これはちょっと親には見せられないなと思い、代わりに口頭で昨日食べた蛇料理のことを親に話した。「昨日蛇料理を食べてきた」と。

 

イッテQという日テレの番組があって、イモトというタレントが死ぬほど蛇が苦手なんだけど、番組の企画で蛇料理を食べさせられたりしていて、最近は倫理的にダメだなと思っていたんだけど、家族は結構笑ってそれを見てるから別に蛇を食べたことくらい何でも無いかなと思っていたら、

親がむせて、「ものを食べている時にそういう話をしないでくれ」と怒られた。

イッテQを笑って見ているとはいえ、親が蛇が嫌いな事を完全に忘れていて、やってしまったと思った。これはダメなやつだったのかと。

それと同時に別に美味しかったものの話をしているだけなんだから別に良いだろうとも思った。

「普通に美味しかったよ」と言った。

そしたら「あなたが蛇を平気で食べるような人間だとは思わなかった。一緒に居た友達も食べたの?」と聞かれた。信じられない、人間を喰ったのか?みたいな軽蔑した言い方だった。「食べたよ」と答えた。

その後親が落ち込んで、「蕎麦が食べられなくなってしまった」と言ったので、罪悪感が湧いてきて「ごめんなさい、もうこういう話はしない」と謝った。

普通に無神経な行動を取ってしまったなと反省した。

その後はいつも通り普通に接していたんだけど、なんか気まずくてラーメン屋と喫茶店に逃げた。

夕方頃帰ってきて、普通に何も無かったかのように晩ごはんがカレーだと告げられた。

 

表面上はもう何でもないんだけど、自分が親に「蛇を食べた人間だ」と思われているのかとか、相手の気分を害してしまった罪悪感がまだ残っていて、今でも少し凹んでいる。なるべく他人の気分を害さないように生きたいので失敗したなと思う。

 

これ書いてて、じわじわと「蛇を食べることを異常なことだと思う人間もいる」という実感が湧いてきた。ツイッターとかで普通にそういうツイートをしてしまったから驚かれたりリムーブされたりしたかもしれないけど、ツイッターはそうやって気に入らないものはどんどん切り離していけるから気楽だと思う。

 

人の言う一般常識なんてものは幻想だと思う、そんなものは無い、と強く思うんだけど、目の前の相手がどう思うかどう感じるかくらいもう少し考えて行動したい。