とまる勝子さんとの思い出

とまる勝子さんについての事なんてブログの記事に絶対収まりきらないし、だったら書かなくても良いかと思ってたけどやっぱり書きたいので、何回かに分けてでも書くことにした。

今の気持ちを正直に書くと、やっぱりとまる勝子さんは死んでいないんじゃないかという現実離れした思考が抜け切らない。それは私に連絡してくれた勝子さんの妹の存在を疑ったり、勝子さんの死を悼んでいる人たちの気持ちを無かったことにするような失礼といえば失礼な事なのかもしれないけど、でも本当に、とまる勝子さんは一芝居うって、一度死んだ男としてコミティアに蘇る気でいるんじゃないかと、私は割りと本気で思ってしまっている。
馬鹿だなとも思うけど今はそういう気持ちでいる。多分墓参りしたら勝子さんが死んだ実感が湧いて現実にようやく着地できるような気もしているけど。

ていうか、そう期待してしまっているんだなって今これを書いてて冷静になって、そう思った。
今勝子さんの電話番号に電話すれば勝子さんの妹さんやお母さんが出てくれるのだろうし、それで意味不明な勘ぐりも終了する。そうしないのは私がとまる勝子が生きていて欲しいとまだ思ってるからなんだと自覚した。

私はロマンチストだからいつでも非現実的なことを望んだり願ったりしてしまう。人と喧嘩してても今ドラマの中にいるみたいな気持ちだなと思ったりする。

私は2011年頃からツイッターをやっていたけど、私が初めてふぁぼったツイートは勝子さんのツイートだった。
最初期は、勝子さんと「歌の意味分からない歌詞は歌詞カードを見ずに意味わからなさを楽みますよね」みたいなリプのやり取りをしていた。勝子さんが「本当の意味があるのにあえて知らないのが良いんですよね」と返信が来て、確かそれをふぁぼった。

とまる勝子さんと初めて会ったのは、私が模造クリスタルのオフ会に参加して、次のもぞくりオフに出た時だ。実際に会うまで、半分冗談だけど勝子さんは金髪ツインテールの美少女だと思っていた。
実際には赤いジャケットとグラサンを身に着けた、怪しいお兄さんって感じだった。そういえば勝子さんはコミティアとかでもやたらとコスプレに凝っていた。草履やパジャマやウィッグを身に着けてることが多かった。そういうの好きなんだと思う。

その日に流れで皆で薄暗いカラオケ店に行って、何したかは忘れたけど勝子さんがドリンクバーを取りに行く時に私にウィンクをした。私はきょとんとしてしまって、勝子さんに笑われて、「本気にすんなよ、ホモかよ」と言われたのをはっきり覚えている。私は素直だから一瞬本気で自分はホモなんじゃないかと思った。

それからもぞくりメンバーで花火大会に行って、私は神聖かまってちゃんのの子みたいな適当なテンションで騒いでたら、勝子さんから「イリヨさん面白いからいいね」みたいに言われて、(その時はまださん付けで呼ばれていた)人から面白いとか普段言われないからかなり嬉しくて一日中上機嫌だった。皆で酒を飲んだ。私は未成年だから炭酸を飲んだと思う。花火が上がっている後ろで赤ちゃんの鳴き声がうるさくて、花火と赤ちゃんの鳴き声は何か、誕生の祝福みたいで良いなと思っていた。

帰り道に「勝子さんって結婚してないの?」と聞いたら「結婚詐欺にあった話聞きたい?」って返されて、冗談なのかわからないけど深く追求するのをやめた。

にこ殺という、多分言っても勝子さんしか分からないだろう、一時期めっちゃ流行ってたアルファツイッタラーがいて、口癖が「殺すぞ!!!!!」「おい〜〜〜〜〜〜!!??!?○○なんだが〜〜〜〜〜〜!?????!?」とかで、それをよく勝子さんと真似して笑っていた。
私がツイッターを活発にやるようになったのは一時期女神として崇めていたにこ殺の影響が大きい。
その頃に大量にフォローフォロワーを増やした。

私が19歳くらいの頃だから、勝子さんは多分26か27、今の私くらいの年齢の頃、勝子さんとスカイプで通話していて、二人とも泳げるからプールにナンパしに行こうとか話していた。話しただけでそれ以降私がプールに行ったことはない。
あと勝子さんに舞城王太郎を奨められたりした。
アニメイトとかよく一緒に行ってたんだけど、アニメイトディスコ探偵水曜日の話になって「第一部はダルいよね、第二部のパインハウス・デッドからはめっちゃ面白い」と言われて、第一部も私は面白かったんだけどなと思いながら第二部以降を読んだらクッソ面白かった。私は舞城にどハマりして、今でも唯一読める作家が舞城王太郎

作家といえば元長柾木も勝子さんが教えてくれた。勝子さんと飲んでいたら、イリヨちゃんには全死大戦読んでほしいな、と言い出したので、あらすじを聞いたら勝子さんの話すあらすじはやっぱり面白くて、その場で全死大戦をAmazonで購入した。
勝子さんが死んでから、そういえばその時未来にキスをエロゲー)をめっちゃくちゃ推してたな、断絶にキスをとかって、と思って未来にキスをのプレイ動画を見てキスザフューチャーを聞いた。勝子さんが生きていたら語り合いたかった。

あとkihirohitoとかも良いよねと言い合った。

勝子さんとラジオもやった。
イリヨとかっこちゃんっていうラジオ名で、その時電波女と青春男のOPのOs宇宙人のユニット名、エリオとかまってちゃんを意識したものだと言っていた。ラジオは楽しかったけど身内しか来なかった。
リスナーがラジオの掲示板にとしあきという名前で書き込みをしていて、初めて虹裏のデフォ名がとしあきだと知った。

カラオケもめちゃくちゃ行った。共通して神聖かまってちゃんが大好きだったからめちゃくちゃ歌った。馬鹿みたいにずっと歌ってた。
それ以外には勝子さんは筋肉少女帯とか好きで歌ってた。私は頭をよくしてあげようしか知らないんだけど。あとはサンホラとか歌ってた。

カラオケでオールする時は漫画もよく書いてた。

4コマデスゲームっていう、私がコミティアに出るきっかけになった企画があって、その頃は勝子さんとなんかめちゃくちゃなことがやりたかったから、「参加者に強制的に4コマ漫画を書かせる地獄みたいな催し」を企画してやることにした。実際は琴葉とこ先生と山像先生と勝子さんと私の四人でカラオケの一室に篭り一人一コマ、サイコロで決めた持ち時間で絶対に書くというルールでやった。案外面白かったけどそれが私と勝子さんは不服というか物足りなさを感じて、もっと鞭で打ったりルールでがんじがらめにしてめちゃくちゃ厳しい環境で4コマを書かせなきゃだめだな、次はそうしようと言いながら次の企画は流れた。
4コマデスゲーム第1回の完成した4コマ漫画をスカイプで議論して戦犯を決めてトーク内容をまとめて成果物にしてコミティアで売った。

あと勝子さんとは設定を共有した漫画も書きたいねという話をしていて、これも実現しなかったしめちゃくちゃ昔の話だから書いちゃうけど、国内外の死刑囚、殺人鬼を美少女化して学園モノをやりたいという話もしていた。アルバートフィッシュとか加藤智大とか。不謹慎極まりないけどそれはあくまで裏設定という位置づけでこっそりやろうとしていた。
ところがそれを思いついてから数日後にもう殺人鬼を美少女化してまとめた本があることを二人で知って、ああもうあったね(笑)となりその企画はボツになった。

勝子さんはもうその時ダークプリキュア合同?とかをやっていて同人誌や合同誌の経験があったみたいだけど、私と勝子さんのコミティアライフはそんな感じで始まった。

勝子さんと飲みに行くことが増えて、勝子さんは話が上手くて、もぞくりの撲殺魔法少女のあらすじを解説されて私が泣いたこととか、私が就活で悩んでて私のいいところを聞いたら「イリヨちゃんは素直だよね」と教えてくれたこととか、ジョジョの話をしていて5部のテーマってなんだろうねみたいな話をしていて私が「影じゃない?」って言ったら「影かぁ、それ初めて聞いたな、イリヨちゃん頭いいね」って言ってくれたこととか、色々ある。ドイツ料理食べに行ったり、焼肉行ったり、色々あった。

勝子さんの免許証見せてもらって初めて本名と昔の顔見て名前が似合わなすぎて昔の顔がイケメンすぎて笑った事とかもあった。
勝子さんは私に説教とかあまりしなくて、「勝子さんってなんで怒ったりしないの?」と聞いたら「怒っても自分が損するだけじゃん、だから怒らない」
と言っていた。

勝子さんの家に行って、朽木さんと俺枠さんと勝子さんと私で人狼したり、概念漫画を書いたりして遊んだ。私が「意味」とか「性欲」とか「音」とかをキャラクター化して、それを登場人物にして漫画を書く遊びで、結構盛り上がった。私は概念が好きだし。

勝子さんと共通してたのはもぞくり好きだけじゃなくて、さよならを教えてが好きなのも共通していた。ていうか共通点が結構多かったから自然とツイッターの初期相互フォローになっていたんだろうけど。
勝子さんは田町まひるが塩鮭をくわえてるポスターを買わなかったことをめちゃくちゃ後悔していて、私がさよ教のポスターをヤフオクで安く手に入れて家に飾っているのをすごく羨ましがってた。今なら同じのヤフオクで買えるよと言っても買わなかったので田町まひるの塩鮭が余程欲しかったんだろう。

勝子さんのことを、私は「究極の意味厨(物語でもなんでもとにかく意味を見出しまくる考察オタク)」だと認識していた。マジカルガールやデヴィッド・リンチを安々と理解できるのは勝子さんくらいだろう。
私の漫画もめちゃくちゃ深読みして味わい尽くしてくれた。とにかく頭が良かった。
だから意味に縛られすぎて鬱病になってしまったんじゃないかとも思った。
勝子さんが生きる意味について悩んでいたとき、勝子さん、生きる意味は考えるものじゃないんだよ、知るものなんだよ、とリプライしたら舞城王太郎みたいなこと言うなよと言われた。

私と勝子さんでコミティアによく遊びに行くようになって、いきなり別の人のグループの打ち上げに参加したりもした。設定を考えていって、私の義理の兄が勝子さんだという事にして行ったけどたなか麦が勝子さんの指輪をはめる指が違うことで私の義理の兄じゃないことを見抜いたっていう話を最近になってよく勝子さんは話していた。その頃私は結婚指輪をはめるのは法律で決まっていると思い込んでいるほど世間知らずだった。私は今でも世間知らずのままだ。

勝子さんとファミレスで書いてた合同漫画の原稿を勝子さんが電車で紛失したことがあって、その件は私がコミティアに寝坊してコピ本の印刷を全部勝子さんにやってもらうことでチャラになった。でも勝子さんはそれ以降ずっと恩着せがましく私の寝坊の話をしていたけど。

その時のコミティアのサークル名はしりとりをして出てきた単語を全部繋げようという馬鹿な発想で考えたんだけど、理解陰毛ヴァギナデンタータ対人地雷イクラ戦争が入力スペースに入らず、理解陰毛ヴァギナデンタタ対人地になった。その時に出したコピ本に誰かがコメントを二件も書いてくれたからコミティアのページにその恥ずかしいサークル名が残り続けることになった。エイリアン9ネクスト①と同じコミティアに。
そのコミティアで勝子さんがエイリアン9は読んだほうがいいと言うので読んだ。続編も読んだ。めちゃくちゃ面白かった。

あと勝子さんはサンホラのRevoみたいなグラサンとウィッグを着けていて、隣の鮫サークルの人に「バンドマンが来たと思いました」と言われて、折角だからそのサークルの人に私の漫画をあげたら「鬼畜系なんですね」と言われた。鬼畜系かもしれない。

その日、そのティアまで自分はクソみたいな漫画しか書けないと思っていたけど、自分がちゃんと書いたものが色々な人に褒めてもらったり好きな漫画家さんに読んでもらえたり奇跡みたいなことが起きすぎて、私は創作の喜びに完全に目覚めてしまった。

今までのおふざけでめちゃくちゃをやる、コミティアを茶化すみたいな意識が無くなってしまって、その頃から勝子さんと方向性の違いみたいなものが出てきてしまった。

それからも勝子さんとは何回か同じサークルで本を出したり、スペースにドールを配置したり明晰夢を見れるという実際には効かなかった薬をスペースにぶちまけたりしてスペースをめちゃくちゃにしたりしていたけど、私には漫画をちゃんと読んでほしいという気持ちがあった。

その方向性の違いが私の中で爆発したのが、私が勝子さんのスペースで本を置かせてもらうことになってて、当の勝子さんが遅刻して来ることになった時だった。勝子さんがいない間、私は勝子さんが遅れている旨をお客さんに伝え続けていた。
勝子さんがやっと到着して、何を配るのかと思ったら意味の分からない紙(一応印刷物)の束をその場でめちゃくちゃにホチキスどめして、しかもその本とは呼べないものを自ら「ゴミ」呼ばわりして百円で売り始めた。私の本を買いに来てくれたお客さんに対しても押し売りみたいなことをするし、両側をホチキスで留めて完全に読めなくするみたいなことまでやっていて、その時に私は完全にキレてしまった。

今思えば、変わってしまったのは私で、一緒に悪ふざけしていれば楽しかったのかもしれない、とも思う。その頃の私には余裕がなかった。

その次のコミティアから、私は勝子さんのサークルに自分の本を置いてもらうことをやめて、自分でサークルスペースを取ることにした。
いつも通り、当たり前のように勝子さんから「コミティアどうする?」とメールが来て、私は自分で出る、と言った。勝子さんが「じゃあ本置かせてよ」と言ってきて、私は完全にキレていたので今までの恩義とか一切考えられず、勝子さんの本は置けない、と返した。
その場はそれで話が終わったけど、その後、「前回の新刊をゴミと呼んだのはわけがあって、ゴミのようなものだけどそれが次の漫画の伏線になっている」というような説明をメールでされて、半分それは面白そうだし納得出来たけどやっぱりそれでも自分で自分の漫画をゴミと呼ぶのは(勝子さん自身ではゴミだと思っていないものをだ)許せなくて、許せないというかそれで勝子さんが自分の本が売れないと悩んでいるようなことも言っていたので「それは当たり前だよ、自分で自分の創作物がゴミだと思ってないならゴミだなんて言うなよ、ゴミって言ったら誰も買ってくれないよ」とメールで話した。
あと、勝子さんが毎回「次の漫画は面白いから」という話をするのも嘘のように感じられて嫌だった。

自分の漫画をゴミと言うな

表面上は何も揉めてなかったけど勝子さんは私がそう言ったと捉えたみたいで、ずっと根に持ってたみたいで、私が清水ニューロンさんと一緒に落書きをして、それが本当にゴミみたいな仕上がりの合同本になったから面白がってツイッターで「ゴミみたいな本だけど買ってください」と言ったら勝子さんが「お前には一貫性がない」と言ってきて、お互いに食い違って喧嘩になって、それから半年か一年間、絶縁状態になった。

後から聞いた話だと、私と喧嘩している間、勝子さんは自分が酒のせいでイリヨに呆れられたんだと悲観して泣いたりしていたらしくて、今では申し訳ないことをしたような気持ちだ。

酒といえば私は勝子さんを殺した酒を私は憎んでいるけど、酒に関して私が勝子さんにできた事といえば、勝子さんがまだ軽度のアル中だった頃に、勝子さんが酒飲んだら私は即帰るからねと勝子さんを脅して酒を飲ませなくすることくらいだった。本当に何もできなかった。去年の終わり頃には酒飲まないと話せないと言っていた勝子さんに飲ませるがままにしていたし。

勝子さんと喧嘩してから次のコミティアで勝子さんが「ごめん、もうやめよう、俺はイリヨも考え方が変わったんだなってことを受け止めるよ」と言って頭をなでてきて、そんな簡単に謝る勝子さんが許せなかったし、頭を撫でられたのも不快だったし、更に許せない気持ちになって跳ね除けてしまった。あそこまで言っておいてよく言えるなと思った。

でもある時、私は勝子さんと喧嘩をしているのが馬鹿らしくなった。もう怒ってなかったわけじゃないけど、仲直りがしたくなった。
ブロックを解除して勝子さんのツイッターを見たら孤独感を感じていたらしかったからその場でラインした。
私は勝子さんが本当に面白い漫画を書くことはないだろうなと思っていたけど、ブロックしていた間にも鷹林くんが勝子さんの漫画がアニメ化してほしいとかファンアートを書いたりしていて、きっと面白いんだろう、勝子さんの漫画が読んでみたいと思った。
喧嘩とか馬鹿らしくなったから、今度既刊を読ませてよと送った。
勝子さんはびっくりしていた。それから病気がつらいこととか色々聞いて、とにかく生きよう、とお互いに励ましあった。

その次のコミティアからは前みたいに普通にお前の漫画読ませろよとか話していて、勝子さんのパラマインドナッシングネスと私の新刊を交換した。
後で読んだらちゃんと面白かった。
あと勝子さんやっぱ佐藤友哉大好きだなと思った。

最近私は舞城くらいハマれる作家を探してて、佐藤友哉フリッカー式にも手を出していた。表紙がいいよねという話を勝子さんとした。笹井一個さんも2018年の3月頃に亡くなってしまったんだけど。

それから勝子さんの容態はどんどん悪くなっていって、最後の自殺未遂の時も私はなにもできなかったなと思って生きていた勝子さんに何もできないことを謝った。生きろとさえ言えなかった。
でも勝子さんは生きられるように頑張ってみるよと言ったので、私も頑張って生きて欲しいと言った。
鬱病の人間に頑張れなんて言うなw」って怒られた。

それで亡くなる二週間くらい前にたまたま勝子さんがツイッターで誰かと話したいと言っていたから、私が話そうと言って、夜三時くらいまで話をした。

勝子さんが夜眠れなくて誰かと電話で話していたり、自殺未遂した時にも誰かに慰めてもらってたりしたのは知っていたけど、勝子さんから電話がかかってきたことは一度もなかった。信頼されてないのかもと思って少し寂しかったけど、勝子さんは人望があるから大丈夫だろうと思っていた。

勝子さんから最後に聞いた言葉は「新刊の取り置きお願いね、おやすみ」だった。その頃はまだ50、60まで生きるつもりみたいだったし、私もそう思っていた。

それで多分、最後にリプライのやり取りをしていた自分のところに妹さんから訃報が届いた。

意味厨のとまる勝子さんにあの意味しかない、エモとか余計なものが無いあの新刊を読んでほしかったし、パラマインドナッシングネスのまとめ本出すとか言ってたのに結局出さなかったのが悔やまれる。

勝子さんは私にラカンを奨めてくれたけど、ラカンどれ読んだらいいんだよ?教えてくれよ。
あと、プリパラの小銭入れ結局返せなかったよ。
幾原邦彦もまだ全然わからないよ。
勝子さんの話が全然聞き足りない。

これからも日常生活で勝子さんのこと思い出しまくることがあると思うけど、その時はまたブログ書きます。プリパラの事とか、夜打ち上げとカラオケで騒ぎまくったこととか、私が演劇見るようになった事とか、叛逆見に行ったこととか。キリないな。
勝子さんがボードゲームに金をかけようと言い出して、ボードゲームに金かけるのは何にでもマヨネーズかけるのと一緒だ、って話したこと、アーバンギャルドにハマったこと。