名前の遍歴

私は自分の名乗る名前(名義やペンネーム)をよく変更するので、今まで変更してきた名前についてまとめておこうと思った。

 

「イリヨ」

2011年頃、ツイッターを始めて以来、今知られている中で最も古い名前。最古のフォロワーと、そのフォロワー経由で繋がった人が(未だに)この名前で呼ぶ。意味は特にない。

 

「藤森あるいは死」

それより前はまだ漫画さえ描いておらず、私は作者名を特に書かずに漫画を売ったりしていたが、ユーザー名を「あるいは死」にした際にそれだけだと名前っぽくないと思い、「藤森」を付けてペンネームらしくした。当時の漫画家の友人は、「本当にその名前で活動するの?」と驚いていたけど、本当にその名前でしばらく活動していた。

ある合同誌に漫画を寄稿した際にこの名義を使ったので、割と広く認知されている。

この頃はまだ名前を頻繁に変えるということもなかったが、一度だけ「富士あるいは無」という名前に変えたことがある。しかし、富士あるいは無という名前は特別すぎるので、すぐに「藤森あるいは死」に戻した。

あるいは死という名前には、もう自分が創作(当時はエロ絵を描くこと)をしなくなったら死ぬ以外何も無いという気持ちが込められている。

今でも一部の人から藤森さんと呼ばれる。

 

「抱っこなどのふれあい」

今も私のLINEスタンプの名義として使用し、我がサークルのサークル名にもなっている。作家名ではないという意識。しかしスタンプで私を知った人は私を抱っこなどのふれあいさんと呼ぶ

言葉自体は動物園に行った時になんとなく響きが気に入った言葉だったため、あまり意味は無い。

 

「藤想(ふじそう)」

藤森あるいは死という名前で長く活動していて、死というものが名前に相応しくないのではないかと前から考えており、また、死という言葉も自分の中で役割を終えたと思えたため、名前を変えることにした。

藤森創造性という名前にしようかとしていたが縮めて藤想とした。なので、藤は苗字、想は名前、と自分では思って名乗っていたが、皆がフジソウフジソウと続けて呼び、これでフルネームだということを分かってもらえなかった。

想うことは自分にとって重要なので、言葉自体は気に入っている。

今現在最も多く呼ばれる名前。

 

大覚寺花音(だいかくじかのん)」

藤想があまり名前っぽくなかった、女っぽい作家名を名乗りたかった、大という字を使いたかった、お嬢様っぽい名前にしたかった、などの様々な要因から、一時期は大覚寺花音という名前で活動し、それに合わせて口調もお嬢様のようにしていた。

カノンという名前はあるコミティアの打ち上げで私が女子小学生のなりきりアカウントをやりたいと言ったら考えてもらった名前。

大覚という言葉はAKIRAの影響で気に入っているが、大覚寺という寺が実在するので、あまり良い気がしない。

名前を頻繁に変えるようになったのはこれが切っ掛けだった。

今現在はただのオリジナルキャラクターの名前になっている。

今でもカオス・ナイトというシリーズはこのペンネームで書くことが決まっている。

 

「季乖もが(きかいもが)」

このペンネームを未来永劫使い続けると誓ったが、この名前で一度も執筆していない。しかしとても気に入っている。

季という字が入っていることや、前にこのブログで説明した通り、制御と偶然のバランスが取れたとてもいい名前。

もがという名前は夢で自分で名乗っていた。

ただ乖という字が人によっては読めないのが惜しかった。

 

「悪いメイドさん

悪いメイドというものにハマっていた時期に、もうこれを名前にすれば良いのではないかと急に思い立ち、急に名前にした。

急にといっても、人に真剣にこの名前でやっていくと言ったりしていたけど、真剣に、というのがかえってダメだった。

意味は後付けだけど、メイドという従者による悪行は自由意志のようなものを感じられるので意味としても名前のインパクトとしても気に入っていた。

ただ、派手な看護婦のようだと言われるのが嫌だったことなどから名前を変えたくなっていた。

その他に「悪ぅいメイドさんですよぉ」などのバリエーションがある。

 

「本当の世界、前へ進め」

「ムーンライト、本当の世界、前へ進め」

この名前でも執筆を行ったことは無い。悪いメイドさんからこの名前に変更して、なるべく名前という縛りから解放されたかったのでこうなった。長すぎる名前なら名前の意味を考えなくても済むだろうと感じたのである。

この頃から名前を一つに絞ることが不可能になってきた。

この名前自体は気に入っている。

他には「新世紀エヴァンゲリオン」を名乗りたいと本気で思ったりしている。

 

「efes(エフエス)」

FS(=藤想)の読みをいじった名前で、結局藤想と呼ばれるんだからそれに準じた名前にして、もう名前について考えるのはやめようと思ってこの名前にした。結局そういった意識は続かなかった。

日本語から離れてアルファベットにして、これくらい短ければいいなという気持ち。

この名前も気に入っている。

 

「肌(はだ)」

夢で急に「H-DA=肌」という名前を名乗っていて、意味が分からなかったのでそのまま今現在、肌を名乗っている。

その後、もっと意味をそぎ落としたくて「na」という名前も名乗ったりしたが、その後「知っている名前で呼んでください」をスクリーンネームにして、もう自分で自分の名前を名乗ることを諦めようと思った。

今この名前で適当に過ごしているし、肌という名前で作品を出したりもしているけど、全然名前らしくないしそもそも意味が無いのが不満な時もあり、この名前で今後ずっと活動する気が全然ない。名前を「お城」にしようかと思ったりしている。

 

 

 

自分の名前に関しては、頻繁に変えるようになってから、全然意識が定まっていない。そのことは、自分の状態は常に変化・成長するものであるから名前を定めるべきではないとか、そもそも名前とは自分で決めたり、自分で名乗るものではないといった哲学となっているが、大した実りではない。

 

完璧な名前が無いのは分かっているが、完璧を目指せないとしたら、何を目指せばいいのか。そもそも名前で目指す所などない。

 

名前を自分でコントロールする気持ちが、一切無い。また変えたくなったら、人からどう思われようと変えるだろう。そのことに関しては決まっているように思える。

だから今までのどの名前で呼ばれようが別に良いし、作品を出すごとに名義が変わることにも慣れてしまった。

 

一番無理なのが、名前に対して真剣になることだ。

この名前でずっと生きていく、そう強く思えば思うほど、その一時的な意識は過去に取り残され、煩わしく感じて、否定したくなってしまう。

なるべくなら、自分の名前について何も考えたくない。n/a、該当なし (not applicable)で良い。考えれば考えるほど窮屈になる。

 

周りの人に迷惑をかけているなと悪く思うことはある。でもどうしようもない。