漫画の描き方

皆さんはムゲンダイナというポケモンが大好きで、何故かというとムゲンダイナはとてもドラゴンの骨のように骨っぽいのだ。化石や恐竜は子供の大好物であり皆さんも子供だった時代があったか、もしくは現在こども?(アキネイター)なので恐らく恐竜の骨のモチーフで出来ているムゲンダイナというポケモンが伝説のポケモン(ザシアンやザマゼンタとう犬めいたポケモンである)と同じかそれ以上に大好きなはずである。

何故ムゲンダイナの話をする・したかと言うと、ムゲンダイナを好きでいること・時は純粋さを帯びる魂となるからなのだ。魂になるとは?純粋である真っ白な歯であることなのだ。さて、人は真っ白な歯であるが、じゃあどうして、真っ白な歯、存在、意識しなくてはいけないのかというと、そんな必要はない。

私の次の漫画を描くにあたって、私はノリノリで中学生が考えたようなプロットに味付けして肉付けしていかなくてはならず、そのためにムゲンダイナにときめくような真っ白な魂へとチューニングしなくてはいけない。
ノリノリで漫画を描くことの重要性を明確に意識したのは今年の終わりだが(ノリノリで漫画を書くのが重要なんだ!と恋人に話したら鼻で笑われた)、そういえばこの一年は自分自身を一匹の龍に変えちゃって、その上で波乗りをすることを覚えたような一年だったと十二月の頭からやや小走りで一年の総括をするのだった。

意識を持たず、無意識で行動するように意識を持っていくのが一番良い状態だ。

やや繊細に今年のことを振り返ってみると、まずは感情に飲み込まれていた。去年から精神的に多感になり涙を流せるようになった私は、自分の漫画で泣けるようになり、とにかくモンエナをごくごく飲んで音楽を聞いて面白いアニメ映画を沢山見て、で、それで何が私を成長させたのかというと、タガ(箍)の外し方ではなかっただろうか。

カオスナイトを描いている時は毎日漫画のことしか考えておらずに、もう全身自分の世界にドップリと浸かっていた。
カオスナイトは私のもう一つの人生だったし、欲望を全部漫画にぶつけることに躊躇がない、全てをぶつけていた。

ノリノリ漫画執筆体験がその後の漫画生活に変化をもたらした。

次ぐ作品は何を描いていいのか分からずに引っ張り出したものだがキャラクターの描き方やユーモアの使い方を無意識に心得ていた。だがビギナーズラックで一年前に飛ばしたクリーンヒット超天然石には及ばずに悔しい思いをしていた。それなりに悔しかった。悔しいものだ、狙ってできないことというのは。

それに次ぐ作品もなんかよくわからないまま思いっきり自分の好きなものをグツグツ煮込んで煮詰めてもうこれ以上は何にもならないというものをよく分からないまま提供したら想像よりはるかにウケが良くて、私の感覚は麻痺してしまった。

その結果得られたものは二つだけ。とりあえずノリノリで描いていれば良いものが出来るということと、自分のやりたいことをやりたい部分をやりたいだけ限界まで詰めると結果的に良く見てもらえること。
他はよく分からない。よく考えていたよ、自分以外の人は何が読みたいのかなとか、これって分かってもらえるのかなとか。私にとっては漫画を描くことと同じくらい読み手のことが大事だ、読み手の欲しいものを与えたいと思う。思った。思っていた。
でも読み手は子供だ。洞察力があり感性の鋭い冴えたガキだ。なんでも読む代わりに質の悪いものからは自然と離れていく。作者のあるかないかわからない自信の有無、この作者はどこまで考えてこれを描いているのか、その作り込みの巧みさ、甘さ、作者のねじくれた趣味、頭の良し悪し、教養の有無、感情の有無、まあ人間性の全てを読者は見通してくる。なにもかもだ。透けすけ。

そんな千里眼みたいな相手に対して何を読んでほしいかなんていうのは作者が描く事が見つからない時にキッカケ作りにしかならない。結局読者はそこは読まない。狙いは外れる。
でも気持ちは伝わる。本当にこれを読んでほしいと思えば、なぜかは知らないけど読者もちゃんと読んでくれる。

読者のことは何も分からないし、多分読者も作者のことなんて分からない。漫画に描かれているものでしか二人はコミュニケーションを取ることが出来ない。

漫画の本質を決めるのはどちらかではなく両者だってことかな。

構成に関しては今まで色んなことを試してみた、ネームを人にチェックしてもらったり、起承転結を意識してページ数を決めてから描いたり、序破急を意識したり、今は三幕構成を取り入れてプロットを描いている。でもそういうのは意識したからめちゃくちゃ作品が良くなるというものではなくて、誰かが言っていたように、出来が良かったものを研究したらたまたまその構成になっていたことが多かったというだけで、当てにはならない。

だから何もないな、絶対的な法則というのは。
気持ちが乗っかれば何でもいいんだと思う。例えばムゲンダイナを褒めまくるとか。

本当に中学生みたいな漫画を面白く描きたい。味わい深い漫画。
漫画を書くことは気分とやる気との戦いでもある。
戦いだけど気分ややる気が正しいこともある。つまんないプロットでやる気も起きないまま描いててもしょうがないからそういうのは捨てたほうがいい。

さっきプロットをまた捨てようと考えてた時にたまたまムゲンダイナのことを考えていたらそうかこのプロットは子供みたいなテンションじゃないと分からないやつなんだなと気がついて、そう思ったら不思議と面白く思えてきて、このプロットでいくことにした。

今進めているプロットにはおまじないがない。私はプロットに関係ない言葉を書くことが多いけどそれがない。
何でもいいんだけど、「これから気持ち悪いオタクの妄想を描くぞ〜」とか「俺は天才だから面白い展開を思いつきまくることができる」とか「健康な人は黙っててください」みたいな適当なことを書くと、多分プロットのテンションが固定されるからプロットが安定する。っていうのが今分かった。
今の気持ちは「ククク…ムゲンダイナ…」だ。

散々ムゲンダイナムゲンダイナって言ってるけどソードシールドやってない。

来年シンエヴァだ。

おわり〜