20190812 雑記

平沢進
お気に入りの平沢進楽曲のプレイリストを再生しながら、ぼんやりモニターに向かっている。地球ネコが流れている。
今日は平沢進の好きな楽曲をまとめたフォルダを作成したので、これをスマホに移して、いつでも平沢進を聴くことが出来る。

お気に入りだからあんまり人に薦めたくないけど、YouTube平沢進のパレードをピアノでカバーした動画があって、それが物凄く良い。
それを聴く度に絵を描いてしまう。

■新刊
常にクリスタで新刊「クラゲの心臓の秘密 1999年」の原稿データが開かれており、新刊に追加したいページがあれば即座にページを描いてデータを差し替えることが可能。
丁度一年前のコミティア以降、アイデアを思い付いたらすぐに原稿に反映させるというメソッドを採用している。とても柔らかく、漫画を粘土のようにこねることが出来る。

毎日新刊に何かしらの手を加えている。もっと新刊を強くするために、思い立ったらすぐに新刊の新しいページを描く。
とにかく煮詰めて煮詰めて、ドロドロのスープを人に提供したいという気持ちだ。
これが上手くいけば、また一つ、私は自分のスタイルのパーツを手に入れることが出来るかもしれない。

何をやってても新刊のことしか考えられない。トイストーリーを見ている時はトイストーリーのことしか考えられない。

トイストーリーと人間
今朝はトイストーリー1を見て、絶望するバズを励ますウッディの言葉を聞いて、泣いてしまった。4を見てから1を見直すと、ウッディのボイスボックスやバズの翼、1以降も強い意味を持って駆使されるそれらのギミックに特別な気持ちを抱くことが出来る。
トイストーリーはとても本質的だと感じる。描かれているのはおもちゃだけど、描かれているものは人が人として生きるとはどういうことなのかとか、そういう重苦しい人間的な問いを、子どもにも分かるレベルの表現でやってしまう。
人間の役目。能力。意志。尊厳。心。人間同士の関係。人間なんだ、描かれているものは。
トイストーリーという映画は一生好きだろうなと思う。

「人間って何だ」という問いはとても大きすぎて、生きている間に答えが出せそうにないけど、それは人間についての漫画を描いたり、トイストーリーを見たりしながら、少しずつ自分のペースで考えていけばいいのかなと思う。仕事をする時は「仕事って何だ」という問いに即席のロジックを組み立てて、それに縋って生きていくしかないんだけど、人間っていうテーマはそうじゃない。私はもっと人間が何なのかを知りたい。

■フランス
今年の8月は、本当はフランスに行きたかった。金銭的な事情でフランスに行くのを冬に変更した。その代わりに日本国内でやれる遊びを全部やろうと思って、新刊をとにかく描きまくるのもそうだけど、同人誌や詩集や画集やアナログゲームを買い漁って、後悔の無いように遊びまくっている。
「フランスに行きたいのは気分なの?」と聞かれたけど、気分よりもっと強い意志だ。来月の小さいイベントでさよならを教えての設定資料原画集を絶対に手に入れなくてはいけないというタスクが私にはある(さよならを教えてが私にとってどれだけ大きなものかをここで語ることは出来ないけど、私が最も大切にしているコンテンツ4つ(OFF、舞城王太郎平沢進さよならを教えて)の一つだということだけ言っておく)のだけど、フランスはOFFとさよならを教えてのタイトルの由来になったフレンチポップの聖地であり、あと三年以内にラカンを理解しようと考えているけど、ラカンもフランスだ。漫画的な展開に例えて言うなら、様々な要素がフランスという国を指し示し、主人公の私はまずフランスへ向かわなくてはいけない。フランス語は何を言っているのか全く分からないけど、そういうのも乗り越えて、なんとか行かなくてはいけないんだ。

■惚気
のろけ話になるけど、恋人とまた遊んできた。
まずは「まじかるベーカリーわたしが店長っ!」を二人でプレイした。このゲームは本当に良く出来ていて、ルールもすぐに覚えられるし、時々倫理を踏み躙りながら自分のパン屋を大きくしていくのはとても楽しい。どう考えても私の方が良い設備のパン屋を作ったのに、彼女が最後の最後でVIPを店に連れてきて僅差で私が負けた。彼女はとにかく毎日毎日パンを無限に焼き続けていて、その後暫く、彼女が唐突に「パンを焼きたい」と呟くようになってしまった。とても中毒性のあるゲームだ。
その後一緒にYouTubeを見ていたんだけど、流れでピングーを見ようという事になって、YouTubeに「ピングーヤクザ」という単語がサジェストされて、これはピングーにアウトレイジの音声で吹き替えた動画なんだけど、死ぬほど笑ってしまった。その後彼女のお気に入りのピングーのエピソード(ピングーがポップコーンを作り過ぎて人に配りまくる回と、ピングーが失禁してしまう回)を見て、ピングーの面白さに心を奪われていた。
その後、私が最近原マスミAirのライブ映像にハマっているからと言って、多分彼女は何も思わないんだろうなと思いながらもAirのライブ映像を見せたら、気に入ってくれて、その後に原マスミの好きな曲を三曲教えた。全部気に入っていた。かなり意外だった。
彼女がハサミが欲しいと言い出したので、世界堂に行こうということになって、行った。そしたら絵本製作キットが売っていて、絵本でも描いてみようかなと思って真っ白い絵本を買った。何を描くかはまだ決めていない。ていうか考えて思い付いたんだけど新刊に収録することにした。

私たちは二人とも何か別のことをしていると気が回らない質で、サイゼリヤで隣の人の席にはみ出てしまったリュックをどかすのをどっちも気付かなかったり、二人で電車に乗り間違えてどっちも気付かないみたいなことがある。
その後にヤバい画集を買った。どうヤバいかっていうと、陳腐な言い方しか出来ないけど、ずっと眺めてると正気を失いそうになる感じの画集を買った。それを恋人と二人でクリームソーダを飲みながらずっと眺めていた。
私がくたくたになっていたら恋人が気を使ってくれて、席を譲ってくれたりとかクリームソーダを奢ってくれたりした。

一日の終りに、恋人の(多分)一番の友人がライブをやるというので、それを聴きに行った。ライブに行く前からサウンドクラウドでその人の曲は何度も聞いていたから、生で聴けて感動した。聴いている間、色々な事を考えた。現実と自分との距離感とか、『声』を発することの意味とか、これを聴きながら恋人は何を思っているのかとか。
ライブが終わった後にその人に初めて挨拶をした。恋人からはその人は結構ダウナーな雰囲気の人なのかなと思っていたけど、とても気さくに話しかけてくださり、ちょっと話と聞いてた感じと違うな、お互いに緊張しているんだなみたいなことを思った。

■無知
ツイッターでも書いたけど、無知さの無実さ、みたいなものに最近関心がある。
子どもが悪いことをしても大人よりは許される理由、何も知らずに行ってしまったことの、罪のなさ。無知という免罪符。
それと、いつでも誰にでもある、普遍的な無知さ。
例えば、この2019年に、サザエさんというキャラクターもアニメも知らない日本人がいて、三十代半ばで初めてサザエさんというものを知って、感動してしまう人がいたとしたら、その人は少し変わっているかもしれないけど、全然普通の人だと思う。そういうことが、誰にでも、いつでも起こりえるということが、面白いし、尊重されるべきだと思う。
別に何も知らなくても良いんだと思う。知らないんだから。それが基本的な状態だと思う。



ブログを書いていたら4時半になってしまった。