20190609 日記

スマホのバッテリーが70%になると電源が落ちるようになり、スマホなんて早く壊れろ、バッテリーが早くなくなれば私はスマホツイッターに気を取られなくて済むんだ、自由になれるんだと思いながら、実際は予備のバッテリーを常に接続してスマホを使い続けて醜くも延命している。

この四日間、私は人生について考えるポーズを取っていたに過ぎない。頭の中は常に真っ白だった。
人生について考えるとか、中学生じゃなくてもやるんだなと思ったけど、私は中学生なのでそのように振る舞っているんだと思う。

ただひたすら、あらゆる物事に打ちのめされていた。
ただひたすら、あらゆる物事に打ちのめされていた。
ただひたすら、あらゆる物事に打ちのめされていた。
色々なことで泣きそうになっていたけど、その中で最もどうでもいいかなと思う要因を挙げると、プロメアのEDのPVで泣きそうになっていた。なんでそんな優しい音楽なんだよ。

友達にプロメアの曲が好きというラインを送り、「どの曲が好きなの?」と聞かれて、わからないと言ったら、「曲分かったら教えて」とラインが帰ってきて、なんか友達が怖くなって怯えてしまった。

別にプロメアについて語りたいわけじゃなくて、別にプロメアどうでもいいのにそんなことでこんな風になっているというだけで。

なんで友達のラインにこんなに怯えなくちゃいけないんだろうと思う。

四日間のうち、今日、とりあえず無難な話題を書こうと思う。
基本的には良いことが多かったと思う。なのに何故こんなに打ちのめされているのか。全部、私が今まで生ぬるく生きてきた罰だと思う。

今日はゴジラ キングオブモンスターズを見てきた。

あの映画について一体何を書けば良いんだろう。

私は、あの映画は、ゴジラが大好きな人が作った、この世に現存する最上のコンテンツだと思いながら、あの映画を見ることになった。

当然、究極のゴジラオタクが作った映画が面白くないなどと、夢にも思わなかった。
人の熱意は、あらゆる壁を突き抜けると信じていた。純粋に信じていた。その熱意が、どんなどんなどんなどんなどんなどんなどんなどんなものであれ、だ。
今思えばそれだけを信じてただ生きてきたと言ってもいいくらい、人の情熱を信じていた。

私はキングオブモンスターズを全く面白いと感じられず、一緒に見たゴジラがそれなりに好きな友人に、ほぼ慰められて、つまらなかった、と告白した。

初めて君の名は。を見たとき、私は君の名は。で涙を流せず、自分の感受性の低さに涙を流さずに泣いた。

それと同じ敗北感、今回はそれよりも酷い有り様で、もう、頭では自分はゴジラをあまり見てこなかったからこうなったとか、そういういくつもの理由が重なった結果私はつまらないと感じたわけだけど、もうそういう細かいことは友人に聞いてもらってなんとかして、それよりも、あんなに信じていた情熱の持つ力を、私は感じることが出来なかったという一点にばかり気持ちが行ってしまい、ルノアールでしばらく落ち込んでいた。

悲しいとかではなかったので特に泣きたくもならず、喪失感があった。

こんなことってあるんだ、っていう体験の衝撃が凄かった。

脚本が合わなくてその映画を大嫌いになったりとか、さっきの君の名は。よりもめちゃくちゃ衝撃的だった。
逆に、こんな体験は他の映画では絶対にできないのではないかと思って、この体験に価値を見出し始めた。

今、夜、振り返ってもやっぱりあの時間は何だったんだろうと思うし、私はどうしたらいいんだ?

キングオブモンスターズに関してはそんな感じで、あとは概ね人生に必要な(もしくは無関係な)いくつかの出来事がこの四日間に集中していた。
本当に疲れた。

(キングオブモンスターズのこと思い出したらまた自分の不甲斐なさに悔しくなってきた。結局やっぱり私なんじゃないか?罪は私にあるんじゃないか?また観ようとは思わないけど、俺は絶対にお前を越えてやる、一生を捧げてもいい)

四日間のうちに多くのことを得られたが、そのうちの一つはとても実用的なものだった。

人間は寝なくてはいけない。

もう、寝る理由とか考える前に、平沢進のナースカフェを頭の中にながすことにした。

今日の日をまた閉めて。

今日の日を閉めようと思う。