20190913 雑記

何故記事の頭に自動的に記事の掲載日が付くのに記事のタイトルに日付を入れるのかというと、そういう癖で、なんとなく決まりがいいからです。

今日で今年度の上半期が終わるので、気持ちは一段落し、今はとても精神が安定している。薬を飲み忘れてしまったけど多分明日の夜まで何もないだろうからそのままでいる。

11月に向けて漫画を描く、やる気は十二分にあって、それを中心に生活しているし、お金を使ってインプットをしている。

今日はデジモンの初期の設定資料集と、コードギアスのクソでかいアクリルキーチェーンと、フランスギャルのベストアルバムを買った。

コードギアスのアクリルキーチェーンを買ったのは、今までランカリーのアクリルキーチェーンを付けていたけど、急にランカリーのアクリルキーチェーンを付けているのを人に見られたくなくなったからだった。それまで、ランカリーのキーチェーンをつけることには、私なりの意識があったんだけど、電池が切れたみたいに、ランカリーのキーチェーンは今の私には不要なものになっていた。
コードギアスの一期のナナリーと二期のシーツーのクソでかいアクキーを着けたら気分が新しくなって気持ちが良かった。
気分転換だった。
自分の名前をしょっちゅう変えるのも多分気分転換なんだと思う。
気分を中心に生きている私にとって、気分を清潔に保つことはとても大切なことだ。

駿河屋にシーツーのちょっとエッチなパジャマ姿のフィギュアがあったけどあまり可愛くないので買わなかった。気になってはいた。コードギアス復活のルルーシュのDVDが欲しい。けど、ただ何回も本編が見たいだけで、設定資料集とか台本とかはどうかな、今はあまり欲しくない。

デジモンの初期設定資料集は欲しかったけど二倍の値が付いていて躊躇していた、しかし一生モノになる気がするのでもう買ってしまった。今必要かというと微妙なところだけど、ブラッドボーンのアートワークが予想外に刺さらなかったのでデジモンにかけてみようかなと思った。
読んでどうなるかは予想できないけど悪くはないと思う。

そんなことよりも今年の冬に予定してるフランス旅行の準備をしなくてはいけないんだけど、やったことがないことはなかなか手を付けづらい。今月気が向いた時に最寄りの旅行代理店に飛び込もうと思う。パスポートはもう取得した。あとはカレンダーを確認して飛び込むだけだ。今月中になんとかする。

次の新刊のプロットはもう完成していて、あとは全部作画するだけで、作画していく中で細かく調整したり、バランスを取ったりしたい。

次の漫画は明確に、弟に読んで面白がって欲しいという狙いがある。その為に私が出来る工夫というのは、私のレベル的に大したことが出来ないんだけど、自分の実力をすべて出す。
私はいつも自分のために漫画を書くと同時に漫画を読んでほしい人や読んでくれている人のことを想像する。

あと今日気がついたことは、気持ちは絶対にノっていないと良いものが描けない。今までモンエナや新しい音楽が創作に必要だと考えていたけど、それだって気持ちがノるのをアシストするための小道具でしかなくて、ノれるかどうかしかない。

気分がノるといっても色々と状態があるだろうけど、とにかくノっているかどうかを確認しながら作業を進めたい。

私っていうか、うちの血筋は皆なにか常に執着できる何かが無いと生き生きできない人ばかりだ。

常に新しい漫画のことを考えていないと何もやる気が起きない、というか何の為に生きたらいいのかとか、自分が何かをしてもそれが結局何処にも流れていかないことの虚無感に潰されてしまう。

最近は毎日次の新刊をまた読者が面白がってくれている様子を想像している。ずっとだ。それだけが喜びだ。他には何もない。

次の漫画は、「心」と「ワイドスクリーンバロック」という二本の軸で制作を進めている。こうやって言ってしまいたくないくらい「心」に対して真剣になっている。が、一方で、「ワイドスクリーンバロック」に関しては(笑)くらいのふざけた態度で接している。真面目にやるつもりはなくて、なんとなくそんなものあるんだ、へー、じゃあやるかなくらいの感じで、あまり深く考えてない。そう言いながらワイドスクリーンバロックについての本を一冊買ったりしている。

自分の内側へ閉じこもることと、自分の外側へ開いていくことの両方が必要であると考えていて、心に関してはただひたすら自分や心を持つ者に対して向かっていく、閉じていくことをしている。だからか、参考にしたい映画とか本とかあんまり用意してなくて、常に自分の心の様子を確認している。その逆のワイドスクリーンバロックは開を担っていて、その中に自分の外側への興味、好奇心を存分に働かせ、新しい本や、出来れば映画もどんどん取り込む。
こうやって要素を分けて考えていかないと動けないのが、なんとも自分が不器用であるように感じられる。



公私でいうところの公の部分の話を少しすると、詳しく書けないけど、自分にとても都合よく物事が進んでいる。
また、テーマとしては「リアリティ」について、ただリアルさを突き詰めるんじゃなくて、リアリティ、リアルと非リアルの境界についてもっと深く考えたいと思っている。
考えるというより、新しい形を何かから見出していきたい。

さっき内や外と言ったけど、総合的に見て、やっぱり全体的には狭い世界に生きてるなと思う。視野が狭い。自分の周りのことしか見えていないんだ。
社会で起きていることも自分に関わることなのに、その自覚が薄い。だからやっていることとしては外が薄くて、内が強い。閉じよう閉じようとしている。

ちゃんと外のことを見えるようになるには、あとどれくらいかかるのだろうか。このまま内側だけで終わるんだろうか。

だからといって、外へ出て、何かが必ず良くなるとも思えない、現実は常に運が絡んでくる、現実を知っていいこともあれば悪いこともある。

カオスナイトのことを思い出すと、モンエナ青の香りと、A_IIの音楽、春の日に廃墟へ行った時の雰囲気を思い出す。
思い出すというよりは、直に感じられる。

そうか。多分私が再び得たいのは、それくらい創作に打ち込むという体験、記憶に強烈に焼き付いて離れない、トラウマのような創作体験なんだろう。

カオスナイト、240ページ強のあの漫画を描き続けている間は、私は本当に異世界に行ってしまっていた。カオスナイトが私の第二の生であって、深く深く潜り込んでいた。
その体験が、脳のどこかを変えてしまった感覚がある。

その衝撃を忘れられないから、もう一度その衝撃を求めている。次の漫画でそれをもう一度味わいたい。

プロット的には上手くやればそれは可能だと思う。

別に斬新な発想やずば抜けた表現力は必要なくて、心をもう漫画に明け渡してしまう。

私をそのまま丸ごと漫画に入れてしまう。

何を言っているのかよく分からなくなってきたけど、やることとしては、そうする振りとかじゃなくて、これは例だけど、例えば漫画の中で誰かが死んだ時に本気で悲しむような狂気が、これから漫画を書く上で重要で、もっと強烈に自分を破壊しなければいけないんだと思う。記憶も、情動も、狂わせなければダメ。

それくらい貪欲に欲しているんだよな、次の漫画を。