キュイ「蹂躙を蹂躙」感想

せんがわ劇場、演劇コンクールの一作品、キュイの演劇「蹂躙を蹂躙」を観てきた。

最寄りの仙川駅にはマクドナルドが無い。変な駅だ。

感想。

「蹂躙と蹂躙」は抽象的で、あまり意味がわからなかった。

意味がわからなかったなりに楽しかったかというと、なんとなくこの演劇で語られている意味がわかったとしても共感できなさそうな雰囲気を感じたから、良いものなんだろうなとは感じたし演出の雰囲気は楽しかったけど、面白かったかというとそうでもないかもしれない。

「蹂躙と蹂躙」
5つくらいのシーンが断片的に(時系列順に?)語られていく。私は結局意味は分からなかったけど、分かる人には物語として読むこともできるのかもしれない。

役者とセットは、男の役者が一人と、女の役者が二人と、音が鳴る沢山のアヒルのおもちゃと、沢山のパイプ椅子と、やたらギラギラ光る垂れ下がった電飾がある。

男の役者が死んだ友人に似ていて少し面白かった。

言葉の中には、ある人物(達?)と、その人物に関わる医者というキャラクターと、森と呼ばれる空間がある。

タイトル「蹂躙と蹂躙」の意味については、やたらと抑圧されたストレスフルな環境が言葉(役者の振りかざす武器とも取れるし、日常的に交わされる何気ないフレーズともとれる)によって構築されていて、それが医者や森といったシステム(?)とどう関係しているのか分からないけど、とにかく最終的には「蹂躙」さえも蹂躙されてしまい、世界が平坦になる(という印象)の物語だった。

結局、医者や森が何なのか分からなければ意味がわからないので意味がわからなかったんだけど、ディスコミュニケーション的な断絶や、飽和した言葉によるストレスや、蹂躙や、生命を脅かされる内容が続くので、あまり愉快ではないかなと思う。

中盤辺りで、これは私が解釈を持たなくてはいけないと思って急いでこの演劇について向き合い方を考えていたけど、まあ知らないものは知らないの。
森という言葉から映画ロブスターの閉塞的な森と、現実的な憩いの森を同時に想像した。

役者が発する言葉は独特で味わいがあったと思うんだけど忘れてしまった。